万年筆を使うということ
最近手書きメモやアイデア出しに万年筆を常に使用している。
なぜか。モノとして使っていて心地よいからだ。
デジタル全盛のこの世の中で、前時代的な筆記具と思えるが、好きなものに囲まれて暮らしたい。
ボクは万年筆が好きなのだ。
普段遣いの万年筆はパイロットキャップレスだが
日常使いしているのは、パイロットのキャップレス万年筆だ。
クリックするとすぐ書けるので、ボールペン等と同じ感覚で使用できる。
しかし、外出時はキャップレスで良いのだが、自宅デスクで書くときに利便性はあまり必要ない。
必要なのは、書いているときの気持ちよさだ。
パイロットキャップレスでも気持ち良いのだが、ボクは特に午前中文字を書くときに必要以上に力を入れてしまう。
筆圧がメチャクチャ高いのである。
すると、万年筆のペン先がしなるように書くので、字幅が安定しない。
キャップレスは個人的にはペン先が柔らかく感じていたので、ペン先が大きな万年筆を使ってみたくなった。
色々と検討した結果、プラチナ3776センチュリーに落ち着いた。
ミニマリストになるはずが。
プラチナ3776センチュリー Bニブを購入した結果、手書きがますます楽しくなった。
毎朝のジャーナリング(モーニングノート)を習慣にするとの目的は達成できている。
ぬらぬら書ける万年筆は、とにかく書きたくなる。
ボールペンなどで書こうとすると、自分の字の汚さ故に書く気持ちが失せてしまうのだが、
この万年筆はそのようなマイナスな感情を吹き飛ばしてくれる。
しかし同時に新たな不安も感じるようになってしまった。
それは、沼にハマりそうなことである。
書いていて気持ち良いとの気持ちが沸き上がってくるので、もっと気持ちの良い万年筆があるのではないかとの想いが抑えきれなくなる。
結果、すでに次に買う万年筆に想いを巡らせてしまっている。
ミニマリストになるはずが、物欲にまみれてしまっている。
わかっているがこの沼から抜け出せない。
だがそんな状況がじつは楽しくて仕方がない。